自己同一性
私とはなんだろうか、と思う。
私は自分(の価値観)がつねに一貫した存在であると思うことができない。そんな信頼はない。
むしろ価値観とは電気で繋がった大量のSDカードのようなものだと思う。常に更新され、たくさんの重複や矛盾を抱えている。
(そして嫌な思い出のSDカードほどやたら容量が大きい。)
パソコン本体にも電気が足りなくて、ハードディスクは故障している。
私ってなんだろうか。
今の私の大部分を構成しているものが闘病生活だが、こないだ、ついに長年戦ってきた病気の名前までも変わり、飲む薬も変わった。
身体の中に流れている血の成分さえもちょびっと変化しているかもしれない。
それでちょっと今動揺している。
それでも、このヒョロヒョロな身体と、子供の頃からわたしの心の芯になっている「世の中を良くしたい、人の悲しみを取り除きたい」という心の炎だけが、今も変わらないことに気付かされる。
思考の真ん中に、銀色の包装に包まれて、四角い箱に入って、カロリーメイトみたいに大事に保管されている。
だけどそれすら、過去を生きてきた誰かから貰ったものな気がしてる。
(夢とは世代を超えて何度も生まれ変わるもののような気がしています)