巣穴暮らし

ザリガニかもしれない

✒︎「冬」について

「冬」という詩を書きました。

https://note.com/kakurega_of_soul/n/n90762ee3c8a2

落ち葉は命を終えた者たちとともに
雪の下で地球に溶けてゆく

生き物たちは土の下に潜り
長い眠りにつきながら
生と死のはざまを見つめている

私は今年も生き残るのだろう

冬、命の輪郭がはっきりとする
この体のあたたかさを抱いて。

 

最近夜になると寒くなってきて、秋の始まりに聴こえていた虫の声もあまり聞こえなくなりました。冬が少しずつやってきているのかもしれませんね。

私は昔から冬がとても苦手です。

冷え性がひどく小さい頃は毎年両手両足がしもやけでパンパンに腫れていました。痒いし痛いし大変です。多分、冬を過ごすのにあまり向いてないのだと思います。

というか、冬の間冬眠しない生き物自体、そもそも少ないのです。たくさんの生き物たちが土の下に息を潜めて、生と死のはざまを彷徨っています。

そんな厳しい季節だからこそ、ストーブの温かさが身に染みる。自分の体温に気付かされる機会が増えると思います。生と死が、温と冷の存在がより目に見えやすくなる現象を「命の輪郭がはっきりする」という言葉で表しました。

 

また、「私は今年も生き残るのだろう」という一文では、①人間として生まれた余裕に加えて、①とコインの裏表の関係にある②簡単に死ぬことがない(≒人生を簡単に降りることができないというあきらめ)という、生身の人間ならではの二面性を表しました。

生きていることが嬉しい人、厳しい人、いろんな人がいると思います。

私はたくさんの生き物たちが日々淘汰される中生き残るために切磋琢磨しているにもかかわらず、自分がたまに「消えてしまいたいな」と感じることについて、妙だなと思うことがあります。

これは「私は今年も生き残るのだろう」と思えてしまう、恵まれた人間だからこそ生まれる贅沢な感情なのでしょうか?でも辛いのに贅沢だなんて変ですね。

一方で、私自身も自然の一部分ということを考えるとこれも自然な感情の1つなのかもしれません。

あるいは、小さな生き物たちも「永遠に休んでしまいたい」と思うことがあるのかも。

みなさんはどう思いますか。私は、あると思います。