巣穴暮らし

ザリガニかもしれない

わたしたちの居場所

こんにちは。

寒くて低気圧な日が続き、センチメンタルな化けザリガニです。

自宅では気力がまったく湧かないので、きょうはスタバにやってきました。

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アーモンドミルクのアールグレイラテ、おいしいです。

 

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このごろ、それまで当たり前のように存在していたお気に入りのお店たちが、気がついたら軒並みなくなっている、ということが多くて落ち込んでいます。

 

例えば、(以前飼っていた)心優しいザリガニさんに出会った駅前の花屋さんや、

いつも消耗品を買うついでに生き物たちを見させてもらって、癒されていた街中のペットショップ、

弟とよく訪れていたショッピングモール、

新刊を探しにワクワクした気持ちで訪れた本屋さん、など。

加えて、いつか訪れたいなと思っていた素敵な場所もたくさんなくなってしまいました。

空っぽになったり、姿を変えた土地を目にした瞬間の悲しさたるや。

例年以上に多くのお店がなくなっているのは、おそらく、コロナ禍の影響もあるのではないかと思います。

 

どんな理由にせよ、ずっとあり続けるだろう、と思っていた場所が急になくなるというのは、つらいことです。

なんとなく、自分の人生のほんの一部がどこかに行っちゃった、という感じがします。

特に、ここにいることが心地いいな〜と感じていた場所だと、自分の体の一部がどこかに消えたような感覚になったりします。内臓のほんの一部とか、指先くらいだけれど。

幸いなことに私はまだ経験したことがないけれど、災害で家や住んでいる街を失ったことがある人はその時どんな気持ちだったのだろう、想像もつかない悲しみだろうな・・・と考えてみたりもしました。

 

化けザリガニには、いつか困っている人たちの居場所を作りたい、という感じの夢があります。

なので今回、私たちが何気なく得ているさまざまな居場所について考えてみたところ、人間の居場所は人間が作っている、という一見当たり前な事実に気がつきました。

人間の居場所には、さまざまな形態のものがあります。分かりやすいのは、バーやカフェ、居酒屋など。実際に人が集まる場所です。

加えて、twitter、動画チャンネル、インスタグラムのアカウントなど、インターネット上に存在するコミュニティであっても、そこに人が集まればそれは立派な居場所であることに気付かされました。

オンラインでの交流が増えた現代において、インターネット上のコミュニティがもつ「居場所」としての力は、もはや実店舗に引けを取らないような気がしています。

 

そして、人の居場所を長く保ち続けるには2つの安定が必要であることにも、同時に気付かされました。

金銭的安定と、精神的安定です。

わたしたちの居場所がなくなるとき、実店舗を構えるビジネスは金銭的安定の欠如によって、インターネット上のコミュニティは精神的安定の欠如が引き金となっていることが多いのではないかと感じています。

つまり、誰かの居場所を作るのであれば、この2つの安定がなくならないよう入念に戦略を練る必要があるということです。

 

また、居場所を作る側だけでなく、利用する側にも心がけるべきことがあると思います。

それは、心の拠り所を分散しておくことです。

どんな居場所もたいていは人間が作っているのだから、いつ消滅してしまうか分かりません。

(アマゾンの奥地で過ごす場合、そうでないかもしれないけれど。)

あらゆることにはいつか終わりが来る、と認識した上で小さな出来事にも感謝の気持ちを持つこと、なるべくたくさんの楽しみを持っておけるように居場所を分散しておくことが大切だと思います。

また、居場所を提供してくれている人に対してお金を使うことが大切なのはもちろんのことですが、たとえそれが難しくても、感想やありがとうという気持ちを伝えられる機会があればそれを利用する、というのも素敵なことかな。

 

将来誰かの居場所を作りたいと思っている化けザリガニの現在の課題点は、「居場所の分散」に取り組むことと、将来誰かの居場所を作れるよう、「金銭的安定」と「精神的安定」を目指してちまちまと努力しておくことです。

2022年は、①仕事を通して金銭的に安定出来るよう、資格取得に向けた勉強を頑張ること、②自分の心の状態をもっと客観的に見ることができるよう、心理学関連の知識を深めることの2つを特に頑張りたいと思います。


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大好きなお店で働いていて、優しく接してくれたあの店員さんは、今幸せに過ごしているのだろうか。

ありがとうの気持ちを伝えることはもうできないけれど、同じ地球という箱舟の中で穏やかに生きていてくれることを願っています。