巣穴暮らし

ザリガニかもしれない

愛おしい人生

子供の頃は分からないことが多すぎて、たとえばテレビを見るだけで「この世界は今の自分ひとりでは生きていけないんだな」と気づかされる。

毎日そうはっきりと意識することはなくても、そういう気持ちが潜在意識に刷り込まれているからかいつも漠然とした不安のなかに生きていた。

 

外出先で親とはぐれた時の絶望感を今でも覚えているし

お外で親にひどく叱られながら泣きじゃくっている子を見かけるとつい共感してしまう。

「もっと思い通りになればいいのにね」

「気持ちを分かってもらえないのが悔しいよね」

「私もあの時、言葉をもっと知っていれば」

 

 

大人が想像する以上に、子供には自由が無いのではないか。

それと同時に、多くの大人は子供ならではの(圧倒的な力を持つ大人に支配された)あの窮屈さを、自分の子供を育てるくらいの歳になると忘れてしまっているのではないかと思う。

どこの家の子供もそういうわけではないのかもしれないけれど。

 

「今は辛いけど、大人になったらきっと自由になれる。

分かることも増えて、いつかきっと世界がキラキラして見えるものだ」

と信じて、なんとか私なりにこれまで、たぶん全力で生きてきた。

 

なのに…せっかく手に入れた自由が、今こんなにもつまらない。

小さい頃は死ぬのが怖い、叶うなら無限に生きていたいと心から思えたのに、わたしの愛おしい人生はどこに行ってしまったのだろう。

楽しいこともあるけど、なぜか、どこか空虚だ。

消耗してはいけないものをすり減らしてしまったのかな。

でも逃げることが出来なかったからそうするしかなかったし、他の選択肢なんて選べなかった。

いまこの人生が私のベストだ。

 

なんか悔しいけど

でもきっと、人生を自分からやめなければ万々歳だ。

 

 

こないだ親友が「人生は修行だと思ってる」

と言ってたのを度々思い出しては、いろいろと考えている。

仏教に由来する考え方らしい。

私はもう子供ではないから自分のことも少し守れるかもしれない。

昔思い描いた愛おしい人生はもうどこにも無いけれど、ほんの少しでも愛おしい修行になるように、今は自分を助ける番だ。