巣穴暮らし

ザリガニかもしれない

生きる理由

こんばんは。

修士論文をなんとか無事提出し終えたものの、満身創痍の化けザリガニ です。

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悲しいニュースを聞いたので、今の気持ちを文章にまとめてみました。

 

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私のうちのすぐ隣には、親戚のおばちゃんとおじちゃんが住んでいた。

親戚のおばちゃんは、私の父方のおじいちゃんの妹で、おじちゃんはその夫。

おじちゃんは耳が遠く、漁師をしていた。

なので、子供の頃からうちの食卓にはおじちゃんがくれた新鮮な魚やイカなどが並んでいた。

 

当時、まだ小さかった私がおばちゃんちに行くと、おばちゃんはいつでも優しく迎え入れてくれ、「⚪︎⚪︎ちゃんこれ食べり〜」とみかんやお菓子をくれた。

よくもらっていたのは、透明な袋にたくさん入っているかためのビスケット。なぜかいつもあった。

 

 

 

パッケージを見るだけで愛おしい…。

 

 

小学校中学年くらいになると習い事が超絶忙しくなり、おばちゃんちに行くこともほとんどなくなった。

おしゃべりをするのは、新年のご挨拶と、たまたま家の前で会った時くらいになってしまった…。

それから数年後、高校1年生の時に大好きだった祖父が亡くなり、葬式の運営のために親戚が勢揃いした。

母とともに台所に立つおばちゃんたちが、とても頼もしく見えたなあ。

うちの親戚は優しくておおらかな人ばかり。無意識に、私の心の土台になっていたように思う。

悲しむ私を心配し、「さみしくなるねえ」と声をかけてくれたおばちゃんが、その5年後に亡くなるなんて、その時は想像もしていなかった。

 

 

こないだ、「初任給が入ったらおばちゃんに旅行のプレゼントをしたいな」と何気なく母に話したところ、2015年の冬におばちゃんが急に亡くなり、おじちゃんもその1年後に亡くなったことを告げられた。

本当に急なことだったらしい。

深くは分からないけど、なんらかの医療ミスがあったらしい。悔しいな。

 

 

母は、以前祖父が亡くなったときに私が号泣していたことをずっと気にしていたらしい。

おばちゃんの訃報が知らされた時、大学の研究発表大会の直前で多忙だった私にはあえて知らせないことにしたとのことだった。

私としては、最後にありがとうと直接伝えて親戚たちとおばちゃんを見送りたかった。もちろん、直接お葬式に参加することだけが弔いではないけれど…

 

大好きな人がいなくなることは悲しい。

本当の大切さというのは(想像することはできても)失ってからでないと分からないものだなと思う。

私はおばちゃんと、大人になった今だからこそできる話をすることが楽しみだった。

人生の苦労話や、おばちゃんの子供時代の話など、たくさん聞きたかった。

 

悲しくて悲しくて仕方がないけれど、大切な人を見送るたび、生きる理由が増え、私の身も心も、死から少し遠ざかっているのを感じている。

命が尽きる時までなるべくがんばって私も生きよう。

そして、今生きているわたしが尊敬する人たちからなるべくたくさんの話を聞こう。